25.5.16【第1章】吉田武寛の創作スケッチ

語りあう

第1章:原点と試行錯誤

― 『女王ステ』誕生から“演出家・吉田武寛”の確立へ  ―

『女王ステ』の始まりは、プロデューサーからの「新人女優たちが活躍できる場を作ってほしい」というオーダーに端を発している(最終的には、数多くの作品で活躍してきた女優も多数出演してくれた)
当時、女優たちの舞台といえば可愛らしさを売りにする作品が多くを占めるなか、「あえて真逆の世界観に挑戦しよう」という意図のもと、本シリーズは誕生した。

 

だがその背景には、演劇が持つ“悲劇性”への信頼と、「今この瞬間を生きる感情」に真正面から向き合いたいという、吉田の真摯な創作欲求があった。

 

キャストたちと共に手探りで形にしていった初期シリーズ。そこには、演出と脚本を一体化させて“描きたい景色”を立ち上げていく、吉田流の創作スタイルがあった

本章では『赤の女王』から『女王虐殺』に至るまでの創作の試行錯誤と、カナダでの演劇体験を経て確立されていく演出哲学の萌芽に迫る。

 

 

『女王ステ』はどうして生まれたのか

 

アセビカンナ:それでは、いろいろとお話を伺っていきたいと思います。『女王ステ』は2019年にスタートして、ちょうど5年が過ぎたところですね。最初にオリジナル作品を立ち上げようという話になったとき、「じゃあ『女王ステ』を作ろう」と決まったそうですが、そもそも、どうしてこの物語を書こうと思ったのか――そのきっかけから教えていただけますか?

 

吉田武寛:『女王ステ』はもともと、当時の新人の女優たちが出演できる場所を作りたいという、プロデューサー小宮山さんの発案から始まりました。
新人の子やアイドルの方が多かったので、「歌って踊れるコンテンツがいいんじゃないか」と提案しました。 それに当時は、“可愛さ”を売りにしているガールズ演劇が多かったんですよね。そんな中で、「せっかくだから真逆のものをやってみよう」と。とにかくダークな作品を作ろうという方向で立ち上がったのが『女王ステ』でした。

 

アセビカンナ:もともと、ああいったダークファンタジーのような世界観は、吉田さんご自身がお好きだったんですか?

 

吉田武寛:いや、もともとはそんなにそういうジャンルが好きというわけではなかったんです。
ただ、悲劇が好きなんですよ。明るい話があまり得意じゃなくて、コメディにもそこまで興味がなくて。 演劇の一番の強みって、やっぱり日常では味わえないような感情に触れられることだと思っていて。
だから、お客さん自身が、自分の“今”を立ち返るきっかけになるような――そんな悲劇を作りたいという想いで、いつも作っています。

 

 

 

 

アセビカンナ:オリジナルで書くとなると、良くも悪くも“自由”だと思うんですけど、その自由さの中で楽しい部分って、どういうところにありますか?
しがらみがないからこその面白さって、どこにあるんでしょう?

 

吉田武寛:やっぱり、「自分が一番面白いと思うものを作れる」っていうのが、最大の魅力ですね。
僕は演出もしているので、「こういうアプローチが面白いんじゃないか」っていう演出面での発想を、脚本の段階から組み込めるんです。
それが、オリジナル作品の強みだと思います。

 

アセビカンナ:自分が“描きたい絵”を想定して、そこから逆算して文章を書けるってことですよね?

 

吉田武寛:そうですね。僕の場合、物語を書きたくて書いているというより、「見たい絵」だったり、「感じたい感情」が先にあって、そのために脚本を書いているんです。
だから脚本家という枠の中では、ちょっと珍しいタイプかもしれないです。

 

アセビカンナ:最終的に舞台で“バーン”と出てくるものをイメージして、そこから文字を起こしていくと。

 

吉田武寛:そうです、まさに。

 

アセビカンナ:逆に、オリジナルだからこその“怖さ”や“難しさ”って感じることはありますか?

 

吉田武寛:怖さは、そんなにないですね。

 

アセビカンナ:怖さ……というか、自分のセンスが100%作品に出るわけじゃないですか。そのプレッシャーとかって?

 

吉田武寛:「過去作を超えられるかどうか」っていうプレッシャーの方が強いかもしれません。 過去に、お客さんからすごく反応の良かった作品がいくつかあるので。

 

アセビカンナ:「過去の自分」との戦いというか。

 

吉田武寛:そうですね。たとえば『屍の王』とか『黎明の王』は評判もよくて。それをどうやって超えるか――それは常にプレッシャーになってます。

アセビカンナ:最初に「『女王ステ』を作るぞ」となって始まったとき、その初期段階で苦戦したことって、何かありましたか?

 

吉田武寛:『女王ステ』の立ち上げは、やっぱり歌やダンスをあれだけ取り入れるっていうのが大きくて。
けっこう、「始まってから作っていった」みたいな部分があるんですよ。
一応ミュージカルという体ではないんですけど、楽曲数も限られているので、その中で“いちばん面白いもの”を作ろうと、歌と芝居をどう織り交ぜていくか――

そこは探りながら作っていった感覚がありますね。

 

アセビカンナ:その“バランス感”というところですよね。

 

吉田武寛:そう。たとえば、歌いながら戦うとか、やっていく中で生まれたものが多いですね。試行錯誤しながら進めていった感じです。最初から「ドン!」と形が決まっていたというよりは。
特に最初の『赤の女王』のときなんかは、まだそんなに舞台経験のない子も多くて。アーティスト系のキャストも多かったし。もちろん、手練れの役者さんもいたんですけど、みんなで手探りしながら作っていったっていう印象が強いですね。

 

アセビカンナ:『赤の女王』から始まって、『女王ステ』が展開していって、その1年後には『王ステ』が始まるわけですけど。
『女王ステ』がステップアップしていくなかで、自分の創作スタンス――その中で何か変わったり、あえて変えた部分ってありましたか?

 

吉田武寛:最初の『赤の女王』はWESTEND STUDIO(ウエストエンドスタジオ)でやって、『純血の女王』は六行会ホールでやったんですけど、その次の『黒の王』から、スタッフが大きく変わったんです。
それで“できること”が増えたというか、美術や演出効果で遊べるようになって。
「舞台でこんなに自由にできるんだ」っていう感覚がすごく強くなったのが、その時期ですね。

 

アセビカンナ:今、吉田さんが作っている『女王ステ』『王ステ』の“原型”みたいなものが、『黒の王』あたりから形づくられていったということですか?

 

吉田武寛:うん。演出のやり方、考え方がガラッと変わったのが『黒の王』からですね。

 

アセビカンナ:できることが増えると、やっぱり吉田さんご自身も、「じゃあ、これができるならこういう展開にしよう」って、脚本の書き方も変わるものですか?
たとえば、「あ、これ演出できるな」ってなったときに、そこからアイデアが出てくる、みたいな。

 

吉田武寛:そうですね。たとえば『女王虐殺』なんかは一番わかりやすい例で。セットがゴロゴロ動くじゃないですか。あれで「最後に列車のシーンを持ってこよう」ってなった時に、「四つの舞台装置を動かせる」っていうのが前提としてあったので。
演出の自由度が増えたことで、脚本の書き方もかなり変わりましたね。

 

 

 

 

 

 

カナダでの経験、暗転の考え方、演出哲学の芽生え 

 

アセビカンナ:たしかに、あの時期の『屍の王』の方でも、セットを動かしていろんな情景・場面を作っていく手法がすごく印象的でした。
あれって、先に「こういうセットにしたい」っていうアイデアがあったうえで脚本にするのか、それとも「こういう舞台セットがあるから、どう活かそうか」って考えるのか、どっちが先に来るんですか?

 

吉田武寛:「こういうのをやりたい」っていうのが自分の中にあるんですよ。
たとえば『女王虐殺』の直前は、僕、カナダに留学してて、ブロードウェイの舞台をたくさん観ていたんです。そのときに、「演劇ってこんなに自由でいいんだ」ってことを、すごく学んだ時期で。そこから演出の仕方がガラッと変わってるんですよ、実は。

 

アセビカンナ:へえ!

 

吉田武寛:よく言ってるんですけど、それまで2時間かかってた芝居が、その時期以降は1時間50分くらいで描けるようになっていて。 「観ている人の想像に委ねる」ことができるようになったというか。
日本ではあまりやらないような、海外の演出手法を取り入れるようになったんです。

 

 

 

 

アセビカンナ:『女王虐殺』なんかは、たしかに今までにない演出のされ方でしたよね。
特に始まり方なんかは…。

 

吉田武寛:あれは完全に海外のやり方を取り入れています。 主人公が最初に下手に立って、椅子1つだけで場所を表現したり、椅子だけを使って1ナンバー踊ったり

『女王幻想歌劇』も開演した瞬間に舞台セットが全部ゴロゴロ動いて始まるじゃないですか。ああいうのって海外ではよくある演出なんですけど、日本ではあまり見かけない。そこにはすごく刺激を受けましたね。

 

 

 

アセビカンナ:たしかにすごく、シームレスに始まるというか、そんな印象ですよね。

 

吉田武寛:僕、開演前に暗転するのって、嫌いなんですよ。あれって日本の文化だと思うんですよね。

 

アセビカンナ:そうですね。「それでは、始めます」って言ってから始まるような。

 

吉田武寛:あれは絶対にやらないようにしてます。暗転どんな効果があるのかをちゃんと捉えて作っていかないと、単なる“転換のための暗転”になってしまう。それなら、やる意味がないと思ってるんですよ。

 

アセビカンナ:たしかに。暗転するにも理由がちゃんとあるっていうのは、大切ですよね。

 

吉田武寛:そうなんです。僕がカナダで観た舞台は屋外劇場だったんです。だから、そもそも暗転ができないんですよ。月の明かりがそのまま舞台に差し込んでくるような環境で演劇をやってる。ああいうのを見て、やっぱり「日本の考え方じゃダメだな」と思いましたね。

 

アセビカンナ:暗転の少なさって、吉田さんの作品の照明の使い方を見ていると、かなり印象的です。絶えず何かが動いている感じがします。

 

吉田武寛:そうですね。もちろん、照明スタッフの努力も大きいんですが、それも作品の特徴の一つになっていると思います。

 

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