──セッションで創り上げる、声と音の舞台
小宮山:佐藤さんは、朗読劇と通常のお芝居で、意識の違いや心構えに変化はありますか?
佐藤:“音”はとても意識しますね。今の現場でもそうですが、アイコンタクトに近いものがあって、役者も“音の引き継ぎ”をしている感覚があります。
たとえば芸人さんがツッコミの間を語るときに「その“音”じゃない」って言ったりするじゃないですか。まさにそれに近いです。
HIDETAKE:なるほどね、それ、すごくおもしろいですね。
佐藤:あとは、“間弱(かんじゃく)” ──たとえば音楽で言うところのテンポ感や、緩急の付け方みたいなものって、芝居の中にも確実に存在すると思っていて。相手がどんな音を出してくるか、それにどう反応してセッションしていくかっていうのは、演劇と音楽、どちらにも共通する部分があるんですよね。
そうした“音と言葉の掛け合い”が融合する場に立ち会えるのは、僕自身とても楽しみなんです。
それに、生演奏でしか生まれない“瞬間の空気”ってあるじゃないですか。たとえば音響さんが出す決まった効果音と違って、生バンドの場合、ストリングスが「ふわっ」と入ったり、リズムセクションが「シャシャッ」と走ったり。そういう“今この瞬間”にしか生まれない音がある。
そうした即興性や生々しさがあるだけで、作品としてのおもしろさはまったく違ってくると思うんです。演劇と朗読劇、どちらであっても、それが合わさったときにどんなものが立ち上がるのか、すごく期待しています。
HIDETAKE:朗読劇って、演じる上では演劇とはまったく違うものなのですか? それとも近い感覚なんでしょうか?
佐藤:近いと捉えることもできますし、実際に似たアプローチで演じることも可能だと思います。ただ、それをやりすぎてしまうと、朗読劇が“演劇の簡易版”みたいに見えてしまって、結果的にチープに映ってしまう危険もあるんですよね。
だったら最初から演劇でやればいいじゃん、って話にもなってしまう。
だからこそ、朗読劇で何を“武器”にするのか。声だけでどう勝負するのか、というのがすごく大事になると思います。よりよいテンポ、より心地よい“音”、あるいは聴きやすさ──そういった要素がないと、朗読劇である意味が薄れてしまうこともあると感じています。
HIDETAKE:なるほど。僕も台本を読んでいて、今回は“舞台ではない”からこそ、いわゆるト書きの部分──状況描写などを声優さんたちが読むわけですよね。それを観客がどう受け取るのか、すごく興味があって。
その世界観をどうやって想像するんだろう、って。
まさに無限ですよね、観る人それぞれがまったく違う景色を思い浮かべているはずで。そういう意味では、演劇よりも観客の想像力に委ねる部分が大きいと感じます。
佐藤:本当にそうだと思います。たとえば「夜空に星が浮かんでいて」という一文があったとき、その言い方ひとつでも全然意味合いが変わってきます。
「夜空に星が浮かんでいて」と普通に言うのか、「夜空に……星が浮かんでいて…」と余白を持って言うのか。その違いだけでも、その人物がその場に“実際にいる”のか、“本を読んでいる”のかという距離感がまるで変わってくるんです。
さらにそのセリフを語っている人物が、それを“悲しい”と感じているのか、“嬉しい”と感じているのかでも、声のトーンはまったく違うし、まったく別の情景になりますよね。
そうやって、言葉の音だけで全体の印象が大きく変わるのが朗読劇のおもしろさだし、役者としてはそういった繊細な表現を追求できることに、やりがいを感じています。より良いかたちで届けられたら、本当にうれしいですね。
小宮山:いい話してますね(笑)。
佐藤:こういう話をするための座談会なんじゃないですかね(笑)。
小宮山:ですね。演劇と朗読劇の違いって、情報の“密度”にもあると思うんです。朗読って視覚的な情報が少ない分、観客はより“想像力”を使わなきゃいけない。つまり、頭の中でシーンを構築する必要があるから、脳みその回転数はきっと上がっているはずなんです。
情報が与えられすぎていないからこそ、逆に没入できる。それが朗読劇の醍醐味なんじゃないかなって、いま改めて感じました。
HIDETAKE:いい話してますね(笑)。
小宮山:こういう話をするための座談会なんじゃないですかね(笑)。