── ユニークなエピソードとともに語る、人間としての賢治像
佐藤:すこし別の話をしてもいいですか?実は僕自身、別の作品で宮沢賢治を演じたことがあるんです。
その作品では、宮沢賢治をはじめとする文豪たちが現代に現れて、それぞれが自分の生きてきた時代や人生について語るという、少しファンタジーの要素を含んだ構成になっていました。
HIDETAKE:おもしろいですね。
佐藤:その作品の中で感じたのは、文豪って意外と“人間的にちょっとクセが強い人”が多いということでした(笑)。たとえば中原中也なんかは喧嘩っ早くて、お酒にもかなり溺れていた、なんてエピソードもあるんです。そういった、いわば少しネガティブな側面をあえて笑いに変えて描く、というのがその作品のテイストでした。
宮沢賢治も例外ではなく、彼についても「生涯童貞だった」というような逸話が取り上げられていて…。
HIDETAKE:ああ、そうなんだ(笑)。
佐藤:そうなんです。宮沢賢治は生涯童貞だったと言われていて、しかも“春画”を2万枚ほど所持していたという逸話もあるんですよ。つまりは、ずっとエロ本を集めていたという(笑)。それでいて、学校の先生でもあったわけですから…なんだかそのギャップがすごくおもしろいというか、人間的ですよね。
僕自身、そういう一面を知って、彼のことが少し身近に感じられたというか。文豪って、やっぱりこういう人が多いなと思ったんです。純粋であるがゆえに、感性が鋭くて、そういった“純”の部分から作品が紡がれていったのかなと考えることもあります。
議論が多い人物でもあったようで、作品に登場する「どっどど どどうど どどうと どどう」みたいな、風の又三郎のリズム感のあるセリフとか、きっと彼の中にはいつも“体内に渦巻くリズム”のようなものがあって、それを文章に表現していたんじゃないかと思うんです。
鬱屈した感情を抱えたまま、それを物語という形で発散していた人なのかな、と。
HIDETAKE:こういうキャラクター設定って、演じる上で事前にリストみたいなものがあったんですか?
佐藤:ありました、ありました。他にも太宰治など、6人くらいの文豪が登場する作品だったんですけど、僕は“ゲスト枠”として日替わりでいろんな文豪を演じる構成だったんです。
作品全体としては、文豪たちの“ネガティブな部分”をあえて笑いに変えて見せるようなコンセプトで。たとえば「お前、そんな過去があるくせにえらそうなこと言ってんじゃねーよ!」みたいなツッコミが入るシーンもありました。
もちろん笑いだけではなくて、「宮沢賢治は、じつはこういうことを考えていた人なんだよ」ということを、本人の口から語らせるようなシーンもありました。単純に“純粋な少年のような人物”という印象とはまた違った、人間味のある一面を感じられて、すごく面白かったですね。
小宮山:宮沢賢治については、この中で佐藤さんが一番理解してるかもしれないですね。
佐藤:いやあ、おもしろかったですよ。ファンの方の中には、仙台の方まで訪れて、生地を巡ったりする方もいらっしゃったみたいです。
HIDETAKE:すごいですね。
佐藤:そうなんですよ。また、隠していたわけではないらしいんですけど、「同性愛者だったのでは?」という説もあって。とにかくエピソードがてんこ盛りというか、人物像としての“設定”がものすごく多層的なんです。
HIDETAKE:たしかに。『Express』もそうですけど、同性愛的な視点や、そうじゃない視点──どちらにも読み取れるようなつくり方をしていますよね。
たとえば、ミュージックビデオのラストでジョバンニがカンパネルラをハグして、そのまま突き落とすシーン。あれも、見る人によっては「友情ではなく、本当に“好き”だったんじゃないか」と感じる人もいると思います。
そういう感覚って、“男女の枠を超えた愛情”なのか、あるいは“無償の友情”なのか──そのあいまいさがおもしろいですよね。明確な答えはなくて、観る人の解釈にゆだねられている。その自由さが、作品の魅力だと思っています。
小宮山:本当に、あのシーンはさまざまな見方ができる場面ですよね。ジョバンニとカンパネルラの関係性をどう捉えるかで、感じ方が大きく変わる。
HIDETAKE:そうなんです。原作を読んでいても、ジョバンニのカンパネルラへの視線や、カンパネルラのジョバンニへの優しさ──そのひとつひとつがすごく“愛”に近いものを感じるんです。
ただ、それが友情としての愛なのか、恋愛的な意味を持った愛なのかは読み手によっても変わる。だからこそ、“愛情”という言葉がしっくりくるけれど、どういう種類の愛かは決めつけられない。
賢治が描きたかったのは、そういう“普遍的な愛”だったんじゃないかなと、僕は解釈しています。
小宮山:今回、脚本を書き下ろされた吉田さんは、2人の関係性についてどのように創り上げていく予定ですか?
吉田:それはもう、1回しかない稽古で、キャストがどう演じるかによって決まるところも大きいですね(笑)。
小宮山:確かにそうですよね。声優さんたちも、それぞれ演技のアプローチやスタイルが全然違うので、1回の稽古でどう仕上がってくるのか…楽しみでもあり、ちょっと不安でもあるというか(笑)。
HIDETAKE:僕自身、朗読劇に関わるのは今回が初めてなのですが、やっぱり視覚ではなく“耳で楽しむ”という感覚が強いですよね。そうなると、舞台上に演奏家がいるという話ともつながりますが、観客は実際に何を“見る”んだろう? 声優が話しているその姿を観ているのか、それとも頭の中に浮かぶ情景を観ているのか……。
小宮山:声優ファンの方々にとっては、やっぱり“生で演じている姿”を観られるというのはすごく贅沢なことなんだと思うんですよね。楽器隊のパフォーマンスも含めて。
HIDETAKE:声優の方々って、普段はアニメーションなどの“声”を担当されているわけじゃないですか。だから、実際に“喋っているところ”をお客さんに見られているというのは、どういう感覚なんですかね?
小宮山:本当ですね。それはご本人に聞いてみたいですよね。
HIDETAKE:知らないことがたくさんあるので、リハーサルが始まってからのお楽しみですね。
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